木曽漆器の変遷


Entrance

漆 海棠の玄関

漆 海棠は旧中山道奈良井宿と贄川宿の間に位置する漆器の町、木曽平沢で代々続く漆芸店です。

  • 世界に誇る日本の伝統技法を使いながらも、現代生活に取り込みやすいモダンな作品を提案すること
  • 後世に漆の技術を伝え文化を守ること

をコンセプトとして活動しています。モダンな作品を作ることと伝統文化を守ることとは相容れないように感じるかもしれませんが、私たちはむしろこの活動こそ文化を伝承していく最良の方法だと信じています。

ここで少し漆器製造についてお話ししておきましょう。
産業としての漆器製造は生地を作る木地屋(きじや)、塗りが専門の塗師屋(ぬしや)、加飾を専門とする絵付師というように分業化されているのが普通です。
定型の木地を大量に作り、各工程を専門の職人が行うことでコスト的にも時間的にも、また生産能力の面でも優れています。一方で、どの品をとってもそれほど変わり映えがしないという結果に陥りやすいという構造も孕んでいます。実際、木曽漆器は一度かなり衰退しました。現在では勢いを取り戻しつつありますが、30年ほど前まではどの漆器店も同じような物を製造して過当競争に陥り、一部は外国産の安価な漆器を仕入れ、あるいは漆に似た塗料(ウレタンなど)を使用した製品を売るなどして自らの価値を下げてしまいました。時代が変化しても旧来同じものを作り続け、その結果徐々に人々に受け入れられなくなり、遂には廃業した漆器店も多くあります。これでは伝統文化を守れるはずがありません。

私の父は、まさにこの変遷を目の当たりにした世代です。当店も先々代までは職人を雇って漆器を製造し、日本各地の旅館や料亭に卸す製造卸でした。大正から昭和へ、そして戦後の高度経済成長時代にかけて漆器産業は衰える事がありませんでした。その陰で、日本国民の生活は西欧化が進み、漆器を使う家庭が減っていきました。漆器の消費はどんどん減って行き、先ほどお話しした道を辿りました。漆器の数十年使えるという特性も災いしたかもしれません。時代の変化を敏感に感じ、それに合わせて変化していかなければせっかくの素晴らしい文化も衰退してしまうのです。

父はそのことに気づいていたのでしょう。旧来の漆器製造をやめ、自ら木地を挽き下地を施し、仕上げまで行う漆芸作家の道を選びました。その作風はモダンで、テーブルにも洋食にも違和感なく使える作品が多数あります。私も幼い頃から父の作品に触れ、知らずしらずの内にモダンな漆器が当たり前の存在となっていました。そして今日、その作風を継承しつつ更に発展させています。

伝統とは、変化しない核心(コア)部分を堅持しつつ、常に技術とデザインを向上させ、その結果人々に受け入れられ、学びたいと思う人が多く現れ、世に広まり受け継がれていくものだと私たちは考えています。

コメントを残す -Please leave your comment!-