奈良井宿


木曽漆器が根付いた理由   更新しました !

漆器の産地は全国にたくさんありますが、それぞれの地には、そこで漆器産業が根付いた理由があると思います。

木曽漆器は、塩尻市木曽平沢(旧木曽郡楢川村平沢)で主に作られています。木曽漆器が発展したのは

  • 現木曽郡上松町の御料林など、周辺で林業が盛んだった
  • 京都と江戸を結ぶ中山道沿いだった
  • 山地で日照時間が短く、農業に不向きだった
  • 夏の湿度が高く、漆器に向いていた

といった背景があったからでしょう。人の流れ、気候、漆の化学的な性質、それらの条件が満たされて産業として発達してきたのではないかと思います。気候と漆の化学の関係については別の記事で書くことにして、ここでは周辺の産業や歴史との関連について書こうと思います。

木曽平沢は、旧中山道奈良井宿と贄川宿との間に立地しています。中山道は江戸と京都を結ぶ街道の一つとして栄えてきました(正確には草津宿で東海道と合流)。近くには江戸幕府直轄林(明治以降は御料林と呼ばれた)があり、林業が盛んでヒノキなど漆器に適した材料が手に入り易かったのです。また奈良井宿は中山道六十九次のちょうど中間地点であり、大消費地の江戸と京都の両方に出荷できる環境だったことも大きく影響しているでしょう。

谷が深く農業には適さない地域で、宿場町でもない。そんな立地で人々が生計を立てるのに、漆器が最適だったのかもしれません。